温泉の学校
空海
弘法大師像

弘法大師像

幼少の空海

幼少の空海

中学の歴史で登場する「空海」は、「弘法大師」として知られている平安時代の僧侶で、遣唐使として唐に留学をして密教を学び、そして日本に「真言宗」を伝えた。同じく遣唐使で留学して「天台宗」を伝えたのは「最澄」。よく混同しやすいので注意が必要。

ちなみに空海の本名というか幼名は「佐伯 眞魚[さえき(の)まお]」だそうで、現代の日本にも同姓同名がいっぱいいそうな名前だ。

ところでこの「空海」は、温泉の世界でも大活躍のスーパーマンで、日本中に「弘法大師ゆかりの温泉」が点在している。平安時代の人なので、伝説となっているだけで実際にはその弟子の発見だったり、ただ単にあやかっているだけの温泉もあるだろうけど、温泉めぐりをしているとたまに出くわすほど、とにかく「空海」と「温泉」はつながりが深い。

そんなわけで、弘法大師にゆかりのあるといわれている温泉をいくつか挙げてみよう。

  • 山形県の日本海側、温海川沿い温泉旅館が建ち並び、ローカルながらも活気ある温泉街。鎌倉時代から湯治場として栄えてきた老舗温泉地。

    弘法大師の夢枕に童子が立ち、その導きによって発見したと伝えられる。またそれ以外にも、傷ついた鶴が湧き出る湯で傷を癒しているのを木こりが見つけた説。飛鳥時代の呪術者である役小角(えんのおづの)が発見したという説などもある。

  • 福島県会津地方、山深い只見川沿いにある鄙びたローカルな温泉地。炭酸成分が多く万病に効果があると湯治客も絶えない。

    同じ福島県内の大塩裏磐梯温泉とともに弘法大師発見の伝説が残る。

  • 福島県会津地方、山間を流れる阿賀川の渓谷を見下ろすように温泉街が形成されている。塔のへつりなど、観光名所にも近く大きな温泉街となっている。

    弘法大師が発見したという伝説の他にも、奈良時代の僧「行基」による発見伝説もある。子宝に恵まれる湯として人気がある。

  • 茨城県笠間市の郊外にある素朴な雰囲気の温泉。蕎麦が自慢の宿にある温泉で、ぶくぶくと湧き出る様子から「ぶんぶくの湯」と呼ばれるようになったとか。

    弘法大師が関東への巡錫で立ち寄った際に発見したという伝説があるとのこと。

  • 日本百名山のひとつ武尊山の南麓に湧く温泉。脚気に効く温泉として古くから湯治客で賑わう。

    弘法大師ゆかりの温泉にあやかってか、「弘法の湯」を謳う温泉施設もある。

  • 群馬県から新潟県へと抜ける三国峠の手前にある山間の一軒宿。日本秘湯を守る会の会員宿で、観光客、湯治客問わず、とても人気の高い温泉宿。川底から直接湧き出る湯を湯舟にした自然湧出の湯。

    弘法大師が巡錫で立ち寄った際に発見したと伝えられ、法師の湯と名前がついている。

  • 神奈川県の南西部、海岸脇にあるとても大きく人気のある温泉地。箱根への拠点としても便利で、多くの観光客で賑わう。

    富士山の噴火により被災した地域への実地調査として嵯峨天皇の勅使を受けて訪れた弘法大師が、滝の水で足を洗ったら湯に変わったという伝説がある。その他、二見加賀之助重行や役行者、行基、たぬきによる発見説もある。

  • 五頭連峰の麓にある静かな温泉地。地味ではありながらも森林浴やアウトドアなどの拠点として人気がある。

    大同4年(809年)に弘法大師空海上人が錫杖を地に突いて温泉が湧き出したという伝説がある。考古学的に見ると付近から縄文時代の土器等が発見されていることから、有史以前から原住民が利用していた可能性が高い。

  • 深い切り立った崖に囲まれた峡谷「清津峡」の手前、清津川沿いにある小さな温泉。一軒宿の「せとぐち」がある。

    弘法大師がわき出させたとの言い伝えがある授かりの湯。

  • 新潟県妙高市、燕温泉に向かう途中の標高1000メートルに湧く静養向けの静かな温泉地。赤い湯が特徴的。

    弘法大師が開いたといわれ、戦国時代には上杉謙信の隠し湯として利用されてきた歴史があるが、一般的に利用されたのは享保年間(1716-1736)になってからとのこと。

  • 妙高山の北東麓、大田切川の河畔にある温泉地。標高の高い温泉地で、かつてはスキー客で賑わった。とてもワイルドな露天風呂が有名。

    すぐ下にある関温泉とともに弘法大師による開湯伝説がある。とても辺鄙な場所であるため、一般的に利用されはじめたのは明治に入ってから。国民保養温泉地に指定されている。

  • 能登半島の外側、輪島市の東にある一軒宿。日本海を優雅に見下ろす高台にある。化粧水のような滑らかな湯が自慢。

    弘法大師が能登巡錫の折、猪が湧き出る泉で傷を癒していたのを見て温泉を発見したという。そこで「寝」「豚」と名づけられたといわれる。

  • 甲府駅の北西、駅から車で5〜6分ほどのところにある古くからの温泉街。武田信玄公の隠し湯としても知られている。

    大同3年(808)に弘法大師が杖で大石を寄せて温泉が湧出したという「杖の湯」の伝説がある。また、鷲が傷を癒した「鷲の湯」伝説もある。

  • 伊豆半島の付け根中心付近にあるとても活気ある大きな温泉地。かつてはいくつかの共同湯が存在したがなくなり、平成12年(2000)に筥湯が復活した。

    弘法大師が大同2年(807)に修善寺を訪れたとき、桂川で病んだ父親の体を洗う子の孝行に感心し、「川の水では冷たかろう」と、手に持った独鈷杵で川中の岩を打ち砕き湯を出したとの伝説がある。

  • 宇連川の名渓谷「鳳来峡」の入り口近くにポツンとある地味な温泉地。そこにあった一軒宿も平成27年(2015)に閉館してしまった。

    弘法大師がこの地を訪れた際に発見したといわれている。

  • 和歌山県の龍神温泉は、日本三美人湯のひとつとして有名で、とても辺鄙な山奥にもかかわらず全国から多くの客が訪れている。

    飛鳥時代の呪術者役小角が発見した後、難陀竜王のお告げによって弘法大師が開湯したという伝説がある。

  • 鳥取県のほぼ中央付近、作州街道沿いの旧宿場町に湧く温泉。三朝温泉に次いで日本国内第二位のラドン放射能を誇ることで有名。

    開湯起源には諸説があり、脚を痛めた鶴が温泉で癒しているのを行基が発見し、その後に弘法大師が再興したなどの伝説がある。

  • 東道後温泉郷のひとつ。街中にあるとても大きな温泉施設。現在の温泉は昭和に開発された源泉で、かつて利用されていたものではない。

    草の間から湯けむりがあがっているのを弘法大師が気づき、弁天池と名づけ「この池にて湯浴みするならば諸人万病も快癒疑いなし」と説かれたとのこと。

  • 四国の最南端に突き出る足摺岬にある温泉郷。四国遍路金剛福寺があり、古くから人々の訪れる秘境である。

    弘法大師が金剛福寺を建立した際、谷川より湧き出ていた湯に浸かって疲れを癒したとの言い伝えがあるが、かつての源泉は安政大地震で枯渇し、平成元年に新源泉とともに復活した。

  • 徳島県の太平洋側、国道55号線沿いにポツンとある地味な温泉。四国遍路薬王寺のすぐ近くにある。以前は薬王寺温泉と呼ばれていた。

    弘仁6年(815)弘法大師が薬王寺を開基した際に、麓から湧き出る霊水を発見し、諸病に効果があると広めたのが始まりとされる。

  • 剣山スーパー林道の手前にある温泉。宿泊だけでなく日帰り入浴も受け付けているので、気軽に利用できる温泉宿がある。

    源泉は宿から1.5キロほど離れた山の中にあり、弘法大師がこの地で修行をしていた際、霊山月ヶ谷の岩場に薬師如来が出現し「この霊水は万病を駆除する薬泉なり、これ如来の衆生救済の一ツなり」と告げられたという伝説が残る。

  • 熊本と大分の県境にある温泉。とても大きな温泉街で多くの旅館が建ち並ぶ。江戸時代は熊本藩の御前湯が設置された。

    開湯はかなり古く、弘法大師より遥か昔の応神天皇の産湯とされた伝説がある。その後に弘法大師が訪れた際に「湯に入りて 病なおれば すがりてし 杖立ておいて 帰る諸人」と短歌を詠んで、それが温泉の名称になったといわれている。

  • 佐賀県の北部、山間の町、佐賀市富士町に湧く、ひっそりとした静かな雰囲気の温泉地。

    弘法大師が弘仁12年(821)にこの地を訪れた際、喜瀬川でチドリが湧き出る湯で傷を癒しているのを発見したのが始まりと言われている。

  • 波佐見町は焼き物の里として知られ、特に日用食器の全国シェアーが高い。温泉地は地味だが、公衆浴場が新しくなりとても雰囲気がいい。

    弘法大師が立ち寄った際、地に立てた錫杖より湯が湧出したという伝説がある。

まとめ:

 ここに挙げた以外にもたくさんの伝説があるようだけど、史実に基づいた根拠があるわけではなく、あくまでも伝説としてあやかって名前が使われているだけの場合もあるようだ。ただ、人知を超えるような偉大な人物であったことは確かなようで、それだけ伝説になりやすい人物だったということ。でもやはり、太古の偉人にあやかった温泉を巡るというのも、ロマンがあっていいものだぞ。是非、チャレンジしてみましょう。



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